2008年5月9日金曜日

けやき保育園、オープニングセレモニー


2008年5月7日、本郷けやき保育園のオープニングセレモニーが行われました。
写真は、男女共同参画室長、大学総長、ポピンズ社長、東京都福祉保健局長による、もみの木の植樹の様子です。
報道関係の方々も多数集まり、とても盛大な式でした。たくさんの方の力で、開園が実現したのだなあということを、改めて実感させられました。これから、私たちひとりひとりが協力して知恵を出し合い、この園を大事に大事に(それこそ産まれたての赤ちゃんのように!)育てていければよいですね。

2008年5月2日金曜日

「いずみナーサリー」見学会

5月1日、8人の参加者のもと、お茶の水女子大学「いずみナーサリー」を訪れました。

「いずみナーサリー」の前身「いずみ保育所」が付属幼稚園の一角に誕生したのは、2002年。その後2005年に、独立した建物内に新施設として「いずみナーサリー」が開園したとのことです。

(許可を得て撮影・掲載しています)

こちらが入り口。一見、普通の住宅のような外観です。 保育園に来た、というより、知り合いのおうちを訪ねるような、親しみ深い雰囲気。お散歩から帰ってきた子どもたちも、自然に「ただいまー!」と口にしていました。




室内は、けやき保育園とほぼ同じくらいの広さですが、手作りのパーテーションでいくつかのコーナーに仕切られており、居心地が良さそうです。奥には、もぐりこめる小さなおうちもありますね。

天井に掛けられた薄くてきれいな布は、ただの飾りではなく、音を吸収する、光を和らげる、子どもたちにとっては高すぎる天井高を落ち着かせる、など、たくさんの役割を担っているとのことです。


手作りのおもちゃやお人形が、子どもの手にすぐ届くところにそっと置いてあります。子どもたちは、このお人形を寝かせたり、ごはんを食べさせたり、一緒にお買い物に行ったり、お着替えをさせたりして遊ぶのだろうなあ、と想像がふくらみます。





かわいらしいお弁当箱と食器たち!現在2歳になったばかりの我が息子も、最近はお料理やピクニックごっこにはまっていて・・・。ちょっとした棚ですが、柔らかい色調の布を張ったり、ダンボールで棚を増やしたり、保育士さんたちが細かい部分にまで心を配っている様子がうかがえます。







付属幼稚園につながる、素晴らしいお庭。見学者たちからは歓声があがりました・・・!土の小山にトンネル、芝生、木製の遊具、新緑の隙間からこぼれる5月の陽光。都心にいながらにしてこの環境は、子どもでなくとも生き返るような気持ちになります。

幼稚園の子どもたちとも、ここで触れ合えるようになっています。ちょっと大きなおにいちゃん、おねえちゃんたちと一緒に遊ぶのも、楽しいでしょうね。



子どもたちの成長を見守るかのように、大きく枝を伸ばした巨木。夏の日差しや都会の喧騒から、守ってくれています。







最もhatanoの印象に残ったのは、「子どものために」という配慮が随所にまで行き届いていた点です。子どもたちが安心して、快適に、楽しく落ち着いて一日を過ごせるようにという保育士さんや大学側の心遣いが、見るものすべてに感じられ、感銘を受けました。残念ながら、けやき保育園(だけではないですね、「待機児童ゼロ作戦」という旗印のもと次々に増える保育園一般にも言えることですが)はまだまだ、そのレベルには達していません。母親の就労(研究)支援のための「ハコ」づくりが先行してしまい、中に入る肝心の子どもたち当人にまで、目が行き届いていないのです。


もちろん、5年の歴史をもつ「いずみナーサリー」とオープン僅か一ヶ月の「けやき保育園」を単純に並べて比較することはできません。しかし、「ハコ」ができたことはゴールなのではなく、むしろスタートなのだということを再確認し、私たちの目指すべきものがイメージできたという点では、この見学はとても有意義なものだったのではないでしょうか。

まずは、「けやき保育園」の保育内容を、業者に丸投げするのではなく、保護者や関係者、有識者たちの意見を反映させられるような制度が必要になるね、と、見学後のランチでも熱く語られました。


「いずみナーサリー」の詳細につきましては、資料をいただきましたのでそちらをご覧ください。
『大学の中で、赤ちゃんが育つ ――お茶の水女子大学いずみ保育所の記録――』2005年
大学関係者、保育士、学生ボランティアたちの高い志と、運営にあたってのさまざまな苦労(いずみも、最初からうまくいっていたわけではないようです)がよく分かり、とても参考になりました。興味のある方は、参画室かhatanoまでどうぞ。

最後になりますが、見学を快く許可してくださいました、「いずみナーサリー」のスタッフの皆さま、大勢で押しかけて最後にちょっと驚かせてしまった子どもたち、いろいろと手配してくださり学ばせてくださった塩崎さんに、心から感謝申し上げます。